小学生も中学年(3~4年生)になってくると
お友達と遊ぶ時間に楽しさを見出すようになり
共働きのお家でもお子さんが一人でお留守番をしたり
友達と遊んで保護者が帰ってくるまでを過ごすようになる子もいます。
これは大きなひとつのステップですね。
昔は学童保育など存在しませんでした。
事実、1940年後半頃民間保育園が学童保育を始めたと言われており、全国学童保育協議会という学童保育専門団体ができたのも昭和42年(1967年)です。
専門的に子どもを見てもらう機関がなくても、祖父母・近所のおじちゃんおばちゃん・友達の保護者など大人の目が多く、尚且つどこで遊んでも今で言うような危険は少ない。
とにかく現代に比べて、お金を払わなくとも保護者が無理をしなくとも思いっきり子どもたちは安心して日々を過ごせたんです。
私自身、育児をしていて思いますが
やっぱり大人の目があるとめちゃくちゃ安心。
例えば日中自分が様子を見られる状態であっても
加えて、大人の数が多ければ多いほど
安心していろんなことができます。
何より、子どもが色々とできるようになってくるとつい
大人と同じような考え方や扱いをしてしまうこともあります。
「ちょっとお留守番できるかしら」
と、頭をよぎることはしばしばです。
では実際、お子さま独りでのお留守番は何歳からが多いのでしょうか。
こんな記事を見つけましたよ。
【お留守番させやすくなる年齢の目安です。ベネッセが、年少〜小学生の子どもを持つ保護者約1400名を対象に行った調査結果によると、初めてお留守番をさせた年齢でもっとも多いのは小学校1年生で21.9%でした。
しかし、その下の年長だとわずか11.1%しかなく、年齢が上がるごとにお留守番の割合が徐々に増えていくのではなく、小学校に上がった途端に一気に増えていることがわかります。
初めてお留守番をさせた年齢で2番目に多いのは小学校3年生18.8%、3位は小学校4年生で16%という結果でした。小学校1年生からお留守番が急増する理由には、子どもの成長に加えて、小学校に上がると子どもを預かってもらえる時間が大幅に短くなる社会事情も関係しています。】
[引用:子どものお留守番は何歳からOK? https://www.happy-bears.com/kajily/life/2484/]
このように致し方なく、小学一年生から独りでお留守番をさせる家庭が非常に多いことを示しています。
独り、もしくはキョウダイとお留守番をするリスクは
少し考えただけでも溢れるように出てきます。
ガスは元栓を閉めていてもうっかりマッチや着火マンなど置きっぱなしにしていたらどうしよう。
玄関の鍵をちゃんと閉めていなかったらどうしよう。
夕方窓を開けているけど、不審者が侵入してこないかな。
ハサミや包丁など扱ってないかしら。
テレビばかり見ていないかしら。
・・・
そんなことから独りでお留守番をするリスクを考える保護者はどんどん増えており、最近では部活をしない中学生でも独りでお留守番をさせないように習い事を毎日入れたり、携帯を持たせGPSで常に場所の確認を行うなど様々な方法を考えておられます。
男女ともに仕事をする大人は増えているのに対して、子どもへの対応が追いついていないのが現状です。
私の考え方では、できうる限り小さい間は大人の目がある環境に必ず置く。
大きくなっても保護者がそばにいられない状況であれば、人と関わる環境下に身を置かせることで本人のコミュニケーション能力(特に今の時代、社会問題にまで発展していますね)や学校とはまた違った場所(習い事や学童、公民館など)で人と接して社会勉強をしてもらう。
それが大変大切であると考えます。
私自身、小さい頃から‘独り’の時間は1分もありませんでした。
(トイレは別ですよ!笑)
母が専業主婦だったことは大きい要因ですが他にも弟妹と戯れたり、習い事をしたり、友人と遊んだり、祖父母の家で過ごしたり、公民館に行ってみたり、とにかく必ず人と接していました。
今でも人と接することが大好きなのですが、幼少の頃の経験がそうさせているのだと自負しています。
独り遊びが大事な時もありますが、そこには必ず保護者の目がありました。
大人の目があると言うことは
子どもも安心していろんなことに挑戦できると言うことです。
それがすなわち、シナプスを広げることや経験値を上げることに繋がります。
コミュニケーションをとることで語彙が増え、考え方に柔軟さを与え、感情が揺さぶられるのです。
独りでいると
YouTubeを観る、お菓子を食べながらテレビを見る、ゲームに勤しむ、絵を描く、宿題を済ませる、いろんなことが出来ても恐らくは同じことを繰り返し、ただ時間を消費することもしばしばあるでしょう。
お留守番は悪いことではないと私は思います。
でもできることなら、誰かとコミュニケーションをとり、笑ったり泣いたり怒ったりしながら短い子ども時代を過ごしてもらいたいものです。