音楽を始めて、私は今33年目に入りました。
初めての音楽との触れ合いは、0才の時に聞いた小澤征爾さん指揮のマーラー。
あまりに興奮して(いたらしく)訳も分からず小澤さんの真似をしてオムツ姿で指揮棒を振っていたのだそうです。
音楽を始めたのは、2才。母の弾くピアノに合わせて体を動かし、ピアノに触れ(リトミック教育)音楽との接し方を学びました。
ヴァイオリンを与えられたのも2才。だけどまだ指の骨が柔らかく、始めるのは早すぎる。と後の恩師から言われた母は渋々諦めて、私が4才になるまで待ったそうです。
4才からは休むことなくヴァイオリンとピアノを弾き続けました。
「好きだったか?」と聞かれたら正直即答はできません。
好きとか嫌いとかではなく、毎日ご飯を食べるように、ただそこに何の疑問も抱かず毎日音楽をしていた(正確には、させてもらっていた)のです。
ずっとずっと憧れだった、小澤征爾さんと同じ大学に行くようになってからも、その後また福岡に帰ってきて生活するようになってからも、私にとって音楽は何も姿形を変えず、生活の中の衣食住音、なのです。
夫、現る
余談ですが、私の夫も長年音楽をやっています。
夫は3才で和太鼓に出会い、中学でドラムに出会います。
本人はドラムで生きていこう、という考えは無かった。と私には話しますが、人一倍努力家で負けず嫌いな性格もありドラムを辞めようとも思わなかったそうです。
要するに同じく、生活の中に何の違和感もなく音楽が存在しているのです。
そんな二人が家庭を築くとどうなるか。
そうですね、はちゃめちゃですね。
結婚してすぐは二人で明け方まで防音室に篭って音楽を制作しました。
とにかく楽しくて、時間を忘れるほど音楽にふけりました。
曲を作ったり、カバー曲のアレンジをしたり、録音したり…
そして電池が切れたように完成した音楽を聴きながら眠るのです。
子どもができるとそうはいかないのですがそれでも、こんな生活を楽しむ人間です。少しでも時間ができると顔を見合わせてうずうずしてしまうから厄介。
台風の日がやってきました。
始まるよ、いつもの時間
ゴォオオオオオオオオオ
凄まじい音がシャッター越しに聞こえます。
台風が来たよ!と子どもたちに告げるとそそくさとヴァイオリンをリビングに広げました。
そう、シャッターが閉まってるんですもの。こんな絶好のチャンスはありません。
普段は大きな音の鳴るヴァイオリン。家族の前で弾きたくても防音室でなければ「こらこら」とご近所からお叱りを受けてしまう可能性のある楽器です。(意外でしょう?)
何が始まるのだ?といった様子で私の動きを見ている子どもたち。
ニヤニヤと笑う夫。また始まるのか、と横目で見てため息を一つ、我が犬たち。
「みやびのリサイタルへようこそ。それではゴホン」
そこから小一時間、すべての仕事を放棄して私はヴァイオリンを弾き続けました。(途中で次男のミルクタイムがあり夫が慌てて対応してくれました)
楽器に触れなくていい、目で見て脳で楽しんで
私はそう思っています。
特にまだ何も分からない3才までは、直接触れる必要は無いのです。
下手に触ると壊れてしまいます。それでも小さな子どもを責めることはできません。
触れられないからこそ、見て聴いて知って欲しいのです。
CDを聴くのではなく。
YouTubeを観るのではなく。
生の音に触れて欲しいのです。
3才までに絶対音感は形成される、という先生もおられます。
3才まで!でなくても少なからず音感は、物事を頭で理解するようになる前に作られると私も考えます。
その形成に大いなる影響を与えるであろうものは、間違いなく生のサウンドです。
それがドであるとか高いとか低いとかそんなことを全部抜きにして、ただ音に触れさせて欲しいのです。それならきっと、そんなに難しいことではないでしょう。
台風が福岡をすぎてゆく夜中、本当はすごく恐怖でした。
でも音楽を奏でている間は笑い合い、怖い音は誰にも聞こえませんでした。
私たちにとって何かを乗り越えるパワーを作ってくれるのもまた、音楽なのです。
ただそれが「強制」となると、私も夫も今こうやって生きていたかどうか分かりません。ストンと腑に落ちたから、何の疑問も抱かなかったのでしょう。
その判断をしてあげられるかは、そばにいる大人に委ねられているように思います。